はじめに
【注意】性的な内容を含んでおりますので興味のない方は以下の文章を読まないようにしてください。
依存症の本を読んでいたら、「やめたいことがある時には1ヶ月間それをやめてみること。そうすればやめることができる」といったことが書いてあった。わたしはそれを読んでじゃあ禁欲してみようかと思った。とにもかくにも1ヶ月間射精しない。我慢する。そうすれば今よりもずっと良くなるはず。
わたし自身、毎日の生活を振り返ってみると多くの時間をアダルトコンテンツを消費することに費やしていた。多い時だと1日に3時間、もしくはそれ以上、見ていることもあって、そして、その後には物事へのやる気が全く起きない。枯れているというか、強い刺激に長い時間浸っていたせいか、日常的なことでは喜びを感じられなくなっていた。倦怠感に無気力感、虚脱感、認知機能さえも低下していて生の輝きが全く感じられなくなる。これでいいのか? 良くないだろう。そう思いつつもわたしはポルノなどのアダルトコンテンツをやめることができずにそれらのユーザーであり続けた。
やめたい。できることならやめたい。その思いをわたしは自分のメモ帳に綴っているのでさきの文章と少し重なる内容があるものの、ここに書き写しておこうと思う。これはわたしが禁欲初日に書いたものだ。
ポルノを1ヶ月やめてみようか。やめてみたら気分が良くなるかもしれないから。ポルノを見ることや自慰行為に費やす時間、エネルギー、お金をもっと別の建設的なことに回せば人生はより良くなっていくのではないか。
最初の数日から1週間くらいは前より気分が悪くなったり、ポルノを見たくなったりして地獄かもしれない。でも、そこをくぐり抜ければ解放が待っているはず。
やめたいんでしょ、ポルノを? やめて清くきれいになりたいんでしょ? 長年の夢じゃなかったの?
10年後、5年後、1年後にもポルノを見ていたいの? ポルノを見てくすぶっていたいの? そうではなくて素敵なパートナーを見つけて明るい道を進んでいきたいんでしょ? 今のままでいいの? 良くないでしょ? ポルノを卒業したいでしょ?
このメモではポルノをやめたいとあるけれど、ポルノをやめながらも射精はやめないというのはかえって難しいのではないかと思ったこともあり、やるならしっかりと徹底的にやろうと思った。オカズなしで射精するというのはすごくつまらないから、どうしてもポルノを見てしまうと思う。やるならしっかりとやる。そんな風に思えた。
1ヶ月。とにかく1ヶ月我慢する。こらえる。1ヶ月我慢できたら思いっきり出したいと思っている。制限を1年とか5年の年単位とかそれ以上、もしくは死ぬまでとしなかったのはそれだと絶対折れると思ったからだ。それはまずもってして無理。とりあえず1ヶ月。どんなに苦しくなっても禁欲する。わたしは今までいろいろなことにチャレンジしてきたけれど、もしかしたらこれが人生最大の挑戦なのかもしれない(大袈裟かもしれないけれどこれはマジな話)。というか、もし途中で失敗して期間中に射精してしまったらこの文章は水の泡となる。この記録は小出しにして毎日のように公開するのではなくて、1ヶ月後、つまりは禁欲チャレンジ後にまとめて公開して発表しようと思っているからだ。
なんて私事を書いても仕方がない。とにもかくにも禁欲生活スタートなのです。
1日目(と言いつつ2日目に記す)
禁欲2日目から禁欲生活を記録しようと思ったのでこの文章は2日目に書いたもの。そういうわけで昨日の出来事や思ったことを思い出して書いている、という形になってしまったのでご了承を(って初日からそんなんでいいのか?)
用事があって駅前に行くと何かムカついてくる。何にムカついてくるかと言うと、高校生とおぼしき男女のグループや若いカップルにだ。人が一生懸命我慢してダイエットをしようとケーキを我慢しているのに、目の前でケーキ屋さんで買ったケーキの箱を持って通られては面白くないのは当然だろう。彼らを見ていると絶対やっているようにしか見えない。高校生くらいの男女で遊びに来ている連中だって不純異性交友を謳歌していてやりまくっている、はず。とか何とかわたし自身がイタい人になっているのは重々承知。でも、何かイライラしてくる。初日からこれというのはなかなか厳しい展開ではある。けれど、わたしはもっと高いところを目指しているのだから仕方がないと自分自身を納得させてなだめようと必死だった。何かを得るためには何かを失ったり我慢することも時には必要。細身のイケてる体型を維持するためにはケーキとかポテチとかピザとかをたくさん食べていたらダメなのと同じで、禁欲もそれと同じようなもの。とにもかくにもわたしは人生最大のチャレンジの真っ最中。だから我慢するのだ。
今日は子連れの家族が多い。休日だから。ただ、禁欲していると、かわいい子どもたちも愛の営みの結晶なわけで「わたしたちセックスしました」と堂々と言っているみたいで何か見ていて恥ずかしくなってくる。そして、夫婦ってやりたければ毎日だってやっていいんだよね。ずるい。と毎日ケーキ食べ放題みたいにも見えてきて、若い人たちを見ている時のようにはなぜかムカついたりはしないものの、これはこれで少し複雑な気分。かく言うわたし自身も両親がセックスした結果であり、愛の結晶で作品のようなもの。その作品自身が現在禁欲中なのですから、ムカつくだ何だというのはおかしいと言えばおかしいんですけどね。
それにしても女の子たちのミニスカートと短パンの刺激が強すぎる。某宗教の人たちみたいに性的に男性を刺激しないように女性は体のラインを見せたり露出しないでほしい、なんてことを思ったりもした。
で、本屋で迂闊にも女性のヌード写真を見てしまった!! 幸いドカ見ではなくて1~2分見た程度。が、すさまじい興奮。って初日から射精はしていないけれど危機が訪れそうな予感。ポルノ写真をほんの少し見てしまいました。1日は1440分なので1440分の1か2、決めたことを破ってしまったわけで初日から頓挫していると言えば言えなくもない。
が1ヶ月だ。1ヶ月だ。こらえるんだ、こらえるんだ。1ヶ月が過ぎてクリアーできたら好きなだけ出していいから。それまでこらえるんだ。
2日目
朝、目が覚めるとすさまじい性的な衝動。出したい。出したい~。体が悲鳴をあげております。エロ本を物置にしまったりとかしていないから、少し手を伸ばせばいつだって禁を破ることはできる。でも、我慢我慢。立つんだ、立つんだ、ジョー。ではなくて、もう勃ってますから。だから、立つとか勃つではなくてこらえるんだ、なのです。
しかしそれにしてもキツい。あそこがモヤモヤ、モヤモヤしていてスッキリしないとはまさにこのこと。でも、禁欲を始めてから3日とか1週間くらいが一番キツいらしいので。よくあることであって当然の反応なのです。
ダイエット中の、ケーキが食いて~。唐揚げ食いて~。ラーメン食いて~。ピザ食いて~。それと同じような欲求不満がわたしの下半身をめぐって起こっている。ここでポルノを見て射精をすればスッキリすることだろう。しかし、それではパー。今までの努力が無駄になってしまう。ってまだ2日目だろ。2日目で今までの努力が何だというのはどうかと思いつつ、正直この2日目にしてなかなかきつい。
1ヶ月の禁欲の果てにどのようなご褒美がまっているかはまだ体験したことがないものの、きっとすごいご褒美が待っているはず。オナ禁の体験者たちはスーパーパワーが手に入ったとかモテるようになったとか時間を有意義に使えるようになりましたとかいいこと言ってますからきっといいことがわたしにも待っているはず。宗教的な意味でも聖性が高まっていくのかもしれないし。
今、朝の6時くらいで今日何をやろうかなと考えているところ。街では1年に1度の大道芸をやっていて今日が最終日なのです。まだわたしは今年行っていないから行くとしたら今日(だって今日が最終日なんだから)しかない。けれど、行ったらさらにムラムラするだろうな。大道芸にはたくさんの人が集まるから女の人だって来るわけだし。ミニスカートに短パンだって目白押しまでいかなくても結構多そうだ。その渦中にあえて行く必要があるのか。でも、大道芸に行ってみたい気もするんだよなぁ。せっかく催されているのだから行かなきゃ損なんてことも思ったりする。
とこうして文章を書きながらもまるで海の波のように性欲が、性的な衝動が寄せては返している。もちろんあそこを手で刺激してはいないから完全に勃ってはいない。でも、半勃ちにはなっている。そして、そうなればなるほどムラムラの度合いは強くなってくる。
こんな時は、自分のことをまるで他人事のように観察すればいいのではないか、とヨガ的な知識を持ち出してみようか。自分を上から鳥にでもなったかのように俯瞰する。今、ちょっと俯瞰し始めてみたらほんの少しだけれど冷静になれたような気がする。下半身は相変わらず疼いてはいるものの、それでもまだいけそうだ(ってまだ2日目だろ!)。
アダルトコンテンツを探索する必要がないから時間は今まで以上にある。そして、自家発電で消耗していないから気力やエネルギーも十分ある。チーズケーキでも作ろうかな。って乳製品使った物を食べると性欲亢進しません? と自分に問いかけつつ、自分で「乳製品」という言葉を発しながらその「乳」になぜか過剰に反応しているわたし。お乳いいよなぁ。おいおい、またエロいこと考え始めてるだろ? ダメダメ、とまた自分自身を俯瞰しようとわたしは上空へと飛び立ち鳥さんになるのでした。
3日目
昨日、街であった大道芸。結局行くことにした。それで禁欲している時というのは世界が違って見えるようで、女性たちがキラキラ、キラキラしてしょうがなかった。
大道芸の会場で座っていた女性。お尻が大きな桃みたいで、しかもパンツの生地が薄めなものだから形がくっきりしていて、わたしは一人猛烈に興奮しておりました。もう、おいしそうでおいしそうで。普段だったらこの程度の刺激ではうんともすんともしないはずなのに、この興奮の仕方。禁欲は世界を変える。これだけはたしかなようだ。
わたしはお腹をすかせたオオカミとなっていて、人混みの中、通り過ぎていく女性たちを物欲しそうな目でひたすら追っていた。胸、お尻、太もも、そして何よりも顔。そそられっぱなしでさすがにヤバかった。昨日、ミニスカートとか短パンの女の子も来ているだろうと予想したけれど、やっぱり来ていてそれはそれは刺激的だった。スカートで座っていた女の子も少数ながらいて、中が見えていた。もちろんガードのために黒いスパッツのようなものをはいていたけれど、それでも普段は見られないスカートの中を見ることができたわけで、興奮しっぱなし。
もちろん大道芸も楽しかった。パフォーマーが繰り広げる技はすごかったし、普段あれだけすごいものは見られない。でも、それと同じかそれ以上に来ていた女性たちが気になって仕方がなかった。大道芸を見に来たのか、それとも女の人を見に来たのかと聞かれたら両方だけれど、女の人、女の子の方がむしろメインのような。オオカミになってる。禁欲おそるべしだと思った。
禁欲3日目にしてもう既に効果が出始めているのを感じる。男性ホルモンのテストステロンが高まっているのか、何か自分のことをオスだなって思う。ものすごく男性的になっているというか。ポルノを見て頻繁に自慰をしていた時には気弱な感じになっていた。それがたった3日ばかり射精しないだけなのに、ドシっと腰が座っているようになった。動じないというか、もし彼女とかができたら守ってあげたいとかそんな男らしい欲求が生まれてきている。さらには自分の中に活力がメラメラしているのも感じる。昨日は1万歩くらいは歩いたのにあまり疲れなかったし、自分自身からエネルギッシュでアクティブなエネルギーがあふれている。
考えてみれば、射精という行為は男にとってすごく重労働でエネルギーをものすごく消耗することなのだろうということが分かってくる。ヨガでもブラフマチャリヤといって禁欲をすすめているようにやっぱり射精にはエネルギーを使うようで、太古の昔から師匠から弟子へと連綿と受け継がれてきた教えは正しかったのだ。ヨガでは、人間は一定回数の決められた呼吸をすると死ぬという教えがある。ということは射精するためには息を荒くして興奮してたくさん呼吸をするわけだから寿命は縮まる。この教えがどこまで本当かは分からないものの、実際マラソンや激しいスポーツをひたすらやっている人があまり長生きできないのは感覚的に分かるだろうと思う。
と、日記というよりは説明になってしまった。気が付くと日記を逸脱して説明になってしまう。で、話を戻すと、わたしはあれから家に帰ってきてポルノ(セックス動画)は見なかったのだけれどソフトな感じのHな動画を見てしまった。iPadでアダルトコンテンツにアクセスできないように、セーフサーチというブロックをしたところまでは良かったのだけれど、YouTubeで「搾乳機」「水着」「下着」などといったワードで動画検索をしてしまい、結局ドカ見してしまった。そして、それからは雪崩が起こってしまったかのようにアダルト動画は見なかったものの、個人所蔵のエロ本をひたすら見るという感じだった。何かもう自慰行為はしなくても、女性の肢体を見ているだけで脳内にドーパミンがドバドバ出てくるようで気持ち良くてやめられなかった。でも、自分のあそこにはさわらなかった。それだけは死守したのでこの日記自体が嘘つき日記でないことだけは信用してもらいたい。というか、エロい感じの動画を見て、エロ本も読んで、それでもあそこをしごかないというのは拷問のようにきつい。これは自分でかなり厳しい茨の道を歩んでしまっている。自分で自分の首をしめているようなもの。禁欲なら禁欲するで一切、エロ本もお色気系の動画も見ないと徹底した方が楽なはず。そうだな。断ちましょう。勃ってますけど断ちましょう。断ってクリーンになりましょう。そもそもわたしは清くなりたかったんだからね。
わたし一人が、つまりは地球上に80億人もいる人間の一人でしかないわたしが禁欲しようが何しようがどうでもいいと言えばどうでもいいのかもしれない。でも、わたしはやりたいんだ(セックスしたいではなくて禁欲を)。禁欲したいんだ。やるからにはやる。ちゃんとやって目標を何が何でも達成する。やるぞ~!!
ところで、というか今も下半身は相変わらず猛烈にムラムラしていて、いつ女性が裸でやって来ても大丈夫なように臨戦態勢となっている。活力が、活力が尋常じゃない。気が付くと女性の裸のこととかエロいことを考えている。だからこそ、そればっかり考えていないでこのエネルギー(活力)を人生を豊かにすることに振り向けていきたいと思う。
これは修行です。修行だと割り切ります。修行なのです。修行だから楽ではなくて苦しくて大変なのは当たり前。でも、その先には素晴らしい景色が待っている。それはやってみた者にしか見ることができない景色。だからこそ真面目にやっていくし、やっていくだけの価値はある。
オナ禁についてはネット上で賛否両論、いろいろとたくさんの言説があふれている。しかしながら、リンゴの味にしても、オナ禁の効果についても実際にかじってみたり、実践しなければ分からないはず。やってみなければ分からない。だからやる。と違法なことをやるのは違法だからダメだけれど、このオナ禁は違法でも何でもないし、自己責任でやる分には何も問題はない。それに高名な宗教家や聖者などの多く(昔から現在に至るまでの)が禁欲をしていたし、今もしている。だからこそ単なる思いつきでも何でもなくてちゃんと歴史的な厚みもある行為だ。禁欲という実践は。
3日目。オナ禁の本に書いてあった「ムラムラを楽しめ」という言葉。時折、自然にしてしまう勃起の心地良さも感じながら楽しんでやっていきたい。また想像も何もしていないのに勃ってきた。案外これも気持ちいい。オナ禁も悪くない。半勃ち。
4日目(当日書けなかったので5日目に記す)
昨日のことを振り返ってみる。まず、真っ先に思い浮かぶのが、この3日間あまり「出したい。出したい」とそればっかりだったのに、急に静かになったことだ。この静けさは何?、というくらい急に鎮まった感じで、どうやら一番禁欲の苦しいピークは過ぎたらしい。と言いつつも昨日だって時折は出したいと思ったし、そうした衝動も感じた。けれど、そればっかりではなくて他のことにもちゃんと取り組めていた。
オナ禁を実践している人の本を読むと、長期間禁欲することによってスーパーパワーが得られるとか、サイヤ人になるとかいろいろ書いてあるけれど、それ、何となく分かるような気がする。やっぱりこれは自分で実感して体感してみないと分からないことで、いくら口で説明してもこの感覚は分からないだろう。でも、それでも説明しようとするなら、うまくは言えないのだけれど、ゴリラになっているような感じと言えばいいだろうか。自分の中の野性的な本能が復活して体内を豊かな熱いエネルギーが巡っている。強いて言うならそんなところだろう。
静かになったといえども、やはり禁欲していてアダルトな動画なども控えているせいか、道で見かける女の人をしっかり見ていることはたしかだ。そして、ものすごく魅力的に見える。ゴリラになっている。うーん、それだと何か品がないから別の言い方、たとえ方をするなら中高生男子のような、というのが近いのかもしれない。あの頃って1日に何回も射精していたでしょ? でも、それでも次から次に性欲がほとばしってくる。そんなたぎっているようなエネルギーの状態。そして、中高生男子(その中でも特に運動部)は同世代などの魅力的な女の子を見つけるとひたすら食い入るように見ている。しっかりと獲物を補足している(笑)わけで、そんな感じでわたしは女の人をガン見している。さらにはそれが自分の中で何も恥ずかしいとか嫌悪感のようなものが生じることなく、まるで当然であるかのように度胸が座っている(禁欲によって男性ホルモンがかなり高まってきたのだろう)。「女の人を目で追ってしまってすいません」ではなくて、「そりゃあ女の人がいたら見るでしょ。だって男なんだから。オスがメスを求めて見るのは自然なこと」と男らしく開き直っていると言ったらいいだろうか。
数mlの精液を出すか出さないかでここまで自分の感覚、精神状態、気力、エネルギーの状態、感情などが変わってくるとは。
アダルトな動画やビデオなどを見て自慰行為をするのはすごく消耗してエネルギーを使う上に、いわばご馳走を食べるようなご褒美を得ることでもある。エロコンテンツに登場してくる女性たちは本当に魅力的でそんなご褒美を毎日好きなだけ自分に与え続けていたら感覚がマヒしてくるのは言うまでもない。これを食事でたとえると、毎日好きなだけおいしいお寿司を高級なお寿司屋さんで食べ続けるようなこと。3万円とか4万円、いやもっとする高級寿司を食べ始めた最初の数日、長くても1週間はウハウハだろう。幸せ絶頂だろう。けれど、それが来る日も来る日もひたすら続くと慣れてくるのはもちろんのこと嬉しくなくなってきて終いには嫌になるはず。つまり、御褒美ばかりでは人は無気力になり喜べなくなっていく。しかも、もうその喜べるハードル(最低基準)が上がってしまっているから、日常にありふれたささやかなことでは喜ぶことができない。高級フレンチを毎日食べている人が大衆的な立ち食いうどんやそばでは喜べないように(立ち食いうどんやそばだってそれはそれでおいしいものなのに)、日頃、超絶美女の裸ばかりを見ていてそれが当たり前になっている人は平凡的な女性の着衣姿に興奮することはできない。
禁欲、つまりオナ禁はそういった喜びを取り戻すための方法でもある。性的に断食をしているようなものだから、ものすごくお腹がすいて飢えている。お腹がすく。最初お腹がすいている時には食べ物のことしか頭に浮かばない。けれども、それでも断食を続けていると次第に落ち着いて静かになってきて食べないこと自体に喜びを見出すようになる。わたしはそこまではまだ行っていないものの、だんだんと静かになってきているからその道を進んでいるのだろう。
禁欲、オナ禁が断食のようなものならきっと断食明けのおかゆはさぞかし美味しいことだろう。断食を経験した人は、その時のおかゆのおいしさに心の底から喜び感動するらしい。
1ヶ月。1ヶ月の禁欲の後にする自慰行為はさぞかし気持ちがいいのではないか。と書いてその気持ち良さを想像したら興奮してきた。静かになったはずなのに静かになっていなかった(笑)。
「この欲望まみれの世の中で悟りを目指すなんて逆にクールじゃないですか」とある男のヨガの先生は言っていた。それと同じようにわたしは、「このアダルトコンテンツまみれの世の中で禁欲とかすごくクール!!」だと思う。飽食の時代であればあるほど断食が際だって意味を持つように、禁欲もそれと同じではないかとわたしは言いたい。
これから禁欲を続けていくことによってわたしの心と体と魂はどう変わっていくのか。とても楽しみだ。性的な欲求を我慢しているオスザルのようになってきたわたし。いい意味でヤバいかも。
5日目(2日後に記す)
禁欲もとうとう5日目。1ヶ月はまだまだ遠いけれどもいけるのではないか。そんなことを思っていた。「思っていた」と過去形なのはこの文章を書いている今がそれから2日経っているから。
結論。ミッションクリアならず。5日目で禁欲を破ってしまったのだ。その日わたしは自分が1ヶ月間禁欲できなかったこと、それも5日という短い期間しかそれができなかったことが情けなくて情けなくて仕方がなかった。
なぜ我慢できなかったのか。それには深い事情がある。電車に乗った時にものすごく魅力的なお姉さんがいて、その人を見ていたいばかりに、自分の降りる駅で降りずにひたすらそのお姉さんを見ていた。そのお姉さんがどこで降りるかなと思っていたら何と終点まで降りなかった。というわけで、1時間半くらいひたすら電車に乗っていた。お姉さんを見ていたいばっかりに。
と書くとイタい人を通り越してちょっとヤバイ人なのは言うまでもないだろう。もちろんそのお姉さんの体をさわったり、嫌がらせをしたり、つきまとったりといった違法なことは何もしていない。ただ同じ電車の同じ車両に乗って眺めていただけ。でも、その人からしてみたらわたしは少し危ない感じの人に見えたことだろう。実際その時わたしは少しヤバくて危ない人だったと思う。あまりにも男性ホルモンが禁欲によって高まりすぎておかしくなっていた。が、そのお姉さんは少しばかり足のお行儀が悪い人で、その1時間半の間にスカートの中が見えそうで見えない状況がひたすら続き、時折パンツが見えた。3回くらいだっただろうか。そのいわゆるパンチラにわたしは完全にやられてしまい、のぼせてしまっていた。しかも、見えっぱなしではなくて本当にまれにチラリと見える白いパンツ。これはもうダメです。禁欲によってまれにみるオスのオオカミさん状態になっている男にパンツなんかチラリとでも見せてはダメです。
このことを冷静に分析してみると、見えそうで見えない。そして、本当にたまに見える。これはゲームセンターのスロットマシーンのようなもので、当たりそうで当たらないのがひたすら続いて、たま~に大当たりする。それこそが一番ハマってしまう状況でそうなってしまうとノンストップとなりブレーキが効かなくなる。
そんな感じで終点となり、電車から降りたわたしはトイレへ駆け込んだ。もうすることは決まっているでしょう? かと思いきや、それでもわたしは何が何でも1ヶ月の禁欲は成功させなければならない。成功したいんだと何とか自分をセーブした。自分のあそこを見たらお汁がすごかった。あまり知られてはいないけれど、男性もあそこからお汁が少しばかりではあるものの出る。女性ほどではないことは言うまでもない。けれど、確実にわたしがものすごく興奮していたことは事実だった。
何とかトイレでの発射は免れたものの、それでも頭の中にはもう「出すか出さないか」ということしか浮かばなくなっていてそのことが現在の最重要事項となっていた。シャイクスピアのハムレットのセリフをもじるなら「出すか出さないか、それが問題だ」みたいな。ってどんだけ男性ホルモン高まっているんですか、と自分にツッコミを入れるまでもなくもうマックス。が、こらえる。それもすべては1ヶ月間の禁欲という目標を達成するため。
そんな感じで高ぶっていたわたしだけれども、さすがにずっと興奮し続けるというのは人間には無理なことのようで時折冷めては平常に戻る。そして、またしばらくするとさっき車内で見たお姉さんのパンチラがまた浮かんできて興奮してきて、またそれも続かず冷めて、また興奮してと陸上のインターバルトレーニングのようになっていたのだった(わたしはあまり陸上には 詳しくないから間違っているかも)。
で、お家に着きましたとさ。となればもう大丈夫。禁欲は続けられる。なんてわけがなかった。家に帰ってくればなおのことエロ本だってあるし、ネットではエロコンテンツが見放題で誘惑だらけの場所だったりする。で、不覚にも魔が差しまして出してしまいましたとさ。めでたし、めでたし。って全然めでたくね~。出し終わってしばらくしたら、何か猛烈に後悔の念が押し寄せてきた。あぁ、出してしまった。これで1ヶ月の禁欲をする予定、そしてそれを綴った文章を発表することがパーだ。水の泡だ。そんなことを思い始めた。1ヶ月と大きく出ておきながら、5日でギブ。しょぼい、しょぼい、しょぼい。しょぼすぎる。しょぼすぎますよ。5日の禁欲、オナ禁なんてみんな普通にできるし、それだったら取り立ててその様子を文章にして発表する必要もない。
でもね、その時はそう思ったのだけれど、それから2日という時間を置いた今はこう思う。いや、むしろこう考えたいと。自分にとってどうかっていうのが大事じゃないか、とね。誰かが東大に合格しました。そういう話をその合格した本人が持ち出せば、「すごい」「すごい」「すごい」のオンパレードで賞賛されて尊敬さえされる。一方、わたしはと言えば大学を中退していて、それから通信制の大学にチャレンジするものの、それも途中でやめてしまって資格も何もないし、40過ぎのおっさんだというのに職歴だって皆無。でも、でも、わたしだってそれなりにみんなから見たら大したことなどないかもしれないけれど成長している。東大、ハーバード、ケンブリッジ、一流企業、有名大学の教授、弁護士、医者、年収3000万円とかそれ以上、超イケメン、プロのアスリート、タワマンに住んでますけど?、みたいな人と比べればそりゃかすむだろう。けれど、自分はどうか、1年前、それ以上前の昔と比べて今はどうなのだろうと自分自身にフォーカスしてみるとそれなりに小さな成功はしている。ささやか過ぎて見えなくなってしまうような成功だけれど着実にわたしは大きくなってきている。だったらそれでいいと思うし、他の誰かと比べる必要なんてそもそもないじゃないか。
この5日間の禁欲も無意味だったかと言えばそうではないはずで、わたし自身、いろいろと気付いたことや発見したことなどがあり、それなりにいい経験となった。目標を達成できたかどうかと言えば失敗に終わったのだから大成功ではない。しかし、そもそも禁欲という行為はいつ始めてもいいし、いつやめてもいいもの。もちろん、宗教的な戒律に従って禁欲しなければならないなら話は別としても、何もそこまで厳しい縛りがあるわけでもない。つまり、あなたもわたしも何をやろうが自由なのです。自分や人を傷つけたりしない限り何をやろうが自由。その自由という大海に放り出されて、その海で泳ぐもよし、船に乗るもよし、はたまた飛行機にのって空から見上げているもよし、泳ぐどころか趣向を変えて潜るもよし、そして泳ぐにしても猫かきだろうが、クロールだろうが、平泳ぎだろうが何だっていい。
そんな自由で任意な状況。とは言えども、何年も禁欲できている人や終生それを守ることを決意した人から見たらわたしの5日でギブアップというのは情けなくてダメで根性がない甘ちゃんにしか見えないだろう。でも、わたしはわたしなりに短い期間ではあったものの、それなりに頑張ったし、自分なりに一生懸命取り組んだ。実はわたしの人生における最長の禁欲期間というのが8日間でそれよりも先に進んだことはない。だからわたしはわたしなりに健闘したのだ。
なんてダラダラと自己弁解の言い訳の自分の傷をペロペロなめてるのなんて興味ないんだよ、とお思いの方もいるかもしれない。わたしが今回思ったのは、人はたとえ3日とか5日でも大きく成長することがあるんだろうなぁということで、わたしにとって今回のチャレンジは実に有意義だった。自分が禁欲するとオスザルのようになることもよく分かったし、何よりも自分の性欲という一番根っこにある本能と向き合うことでいい勉強になった。そして、何よりも5日我慢して出した時の気持ちよさはもう最高そのものでした。ドクドクドクドク、それはそれはたくさん出ましたから。って結局、最後はエロ話で終わりかよ。と自分にまたまたツッコミつつ、このあたりで終わりにいたしましょうか。
結論:毎日射精するよりも数日我慢して出した方が格段に気持ちがいい。
また次回、あらためて禁欲にチャレンジしたいと思った時には今回と同じように記録してみようと思ってます。禁欲は人を強くたくましくする。自分を律する人ってカッコいいね! 5日しか続かなかったお前が言うなよ。ツッコミどころ満載。とりあえず終了です。
1983年生まれのエッセイスト。
【属性一覧】男/統合失調症/精神障害者/自称デジタル精神障害/吃音/無職/職歴なし/独身/離婚歴なし/高卒/元優等生/元落ちこぼれ/灰色の高校,大学時代/大学中退/クリスチャン/ヨギー/元ヴィーガン/自称HSP/英検3級/自殺未遂歴あり/両親が離婚/自称AC/ヨガ男子/料理男子/ポルノ依存症/
いろいろありました。でも、今、生きてます。まずはそのことを良しとして、さらなるステップアップを、と目指していろいろやっていたら、上も下もすごいもすごくないもないらしいってことが分かってきて、どうしたもんかねえ。困りましたねえ、てな感じです。もしかして悟りから一番遠いように見える我が家の猫のルルさんが実は悟っていたのでは、というのが真実なのかもです。
わたしは人知れず咲く名もない一輪の花です。その花とあなたは出会い、今、こうして眺めてくださっています。それだけで、それだけでいいです。たとえ今日が最初で最後になっても。