もしも精神疾患がこの世になかったら、とふと思う。その世界は素晴らしいものなのだろうか。それとも地獄のようなものなのか。
想像することしかできないけれど、もっとドライな世の中になっていたんじゃないかと思う。思い煩いのない、思い悩まない世界になっていたはずで、それはもう機械のようで人工的な世界。
その世界では人々が淡々と生きている。淡々とご飯を食べて、仕事をして、体を動かして、寝て、みたいな。そこには苦悩なんてものはひとかけらもなくて、ただ淡々としている。
そんな調子であれば、死にたくなったらほとんど無感情ですぐに自殺するし、他者も必要ないなと思えば何の躊躇もなく殺す。
そんな世界を生きていて楽しいかといったら、その世界の住人たちはまるで機械のような味気ない言葉を返すだけだろう。
わたし自身、自分が統合失調症になって良かったと思っている。もしもならずに、高校でも落ちこぼれることなくエリートコースを突き進んで社会的な強者になっていたら、もっと悲惨なことになっていたと思う。嫌な奴がさらに磨きがかかってもっと嫌な奴となっていただろう。そして、障害者なんて金の無駄だから始末してしまえばいい、と公然と言っていたはず。
だから、精神疾患はわたしにとって試練ではあったものの、それと同時に大きなかけがえのないものを教えて与えてくれた。そのおかげでわたしは人間らしくなれた。思い悩むことはあるけれど、それでも人として成長することができた。そんなことを今思う。
わたしは精神障害者で吃音がある40代の男です。
教会を離れたプロテスタントのクリスチャンです。6年くらい教会生活を送りました。
キリスト教神学を勉強したり、ヘブライ語もやってみたりとすごく熱心な信徒でした。
毎週のように礼拝には休むことなく参加して、教会の集会にもほぼすべて参加していました。
今はヨガの道場へ通ってヨガの練習をしています。
毎日、瞑想もしています。
最終学歴は高卒で20代の頃に大学を中退しています。
福祉の勉強をしていたのですが、精神的な不調になり中退しました。
それから仕事などに就くこともなく現在に至ります。
また、放送大学で心理学を勉強しようと入学しますがそれも中退。
金銭的な理由と心理学への興味関心がなくなったのでやめました。
資格はたしか中学生の頃に英検3級を取りました。
でも、英語はほぼ忘れたのでEnglish,I don’t knowです(笑)。
資格はそれ以外にはないです。なかなかのフル装備です。
どこにでもいる平凡な人ですがエッセイを書いてこのブログで発信しています。
「無職が何を言っても説得力がない」とか「働け」などとある人から言われましたが、生きているだけでもいいと思っています。
まずは生きていること。死なないこと。
そこからできそうならステップアップしていきましょう、というわけで今はヨガとかお料理などを一生懸命やっています。
というわけで今ステップアップしようとしているところです。
最近、HSPの本を読んでどうやらわたしがそうだということが分かり、あぁやっぱりなと思いました。
人の言動から影響を受けやすくて、刺激に対して敏感な感じで、騒がしい場所や大きな音などが苦手です。
街などで2時間とか3時間くらい過ごすとだいぶ疲れる感じです。
集中力も長くて1時間半くらいしか続かなくてそれ以上続けると調子が悪くなってきます。
あとパソコンとかの画面が苦手で長い時間やっていると決まって不調になります。
毎日のようにヨガの道場へ行き1時間半くらいの練習をほぼ毎日のようにしています。
しかもそのやっているヨガがあの運動量が多くてきついと言われているアシュタンガヨガだったりします。
たしかに楽ではなくてそれなりにきついのですが、練習が終わるとものすごく調子が良くなって気分も上向きになってスッキリします。
心身共に強くたくましくなってきて精神的な不調になることもだいぶ減ってきました。ヨガから不思議な力を感じています。
このブログのアクセス数はさっぱりですが、それでもわたしは幸せです。
と言いつつも、ちょいちょいアクセス数がどうだのとぼやいたりしてはいますが。
ちなみに彼女募集中(?)です。