やっていきながら考えるくらいでいい

いろいろエッセイ
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 スローライフを送るんだと決意した矢先、またもやわたしの中でふつふつと煩悩が煮え立ち始めた。死ぬまでにやりたいことは何だろうかと考えたのだ。そうしたら、いくつかやりたいことが浮かんできた。が、それはきついのだ。なかなかハードな目標で、まったりとゆっくりやっている場合ではなくなってしまう。あれだけスローライフが云々と言っていたのに、またもやぐらつき出した星である。
 つまり、一言で言うなら、「生きた証」を残したくなってきたのだ。わたしの人生でなにがしかの活動をして、それを死後にもできることなら残したい。そんなことを思ったのだった。けれど、それって本当に意義のあることなのかな? 何でも疑り深いわたしは疑ってしまう。で、考えるのだ。
 わたしの文筆活動の結晶は何年くらい残るのだろうか。そして、死後に後世の人々にどれくらいの間読んでもらえるのだろうか。もって50年だろうか。いや、10年で終わり?、なのかもしれない。とりあえず(というかこれが本当にハードルが高いのだけれど)、作家デビューせねば。話はそれからだとは思う。でも、わたしの作品がプロのレベルまで到達できていない場合、やはりプロにはなれないのだ。だとしたら、趣味としてアマチュア文筆家として書き続けるしかない。
 生きた証。生きている間に評価されなくて死後に評価される。宮沢賢治みたいになるのかな。それとも、おそらく多くの人がそうだと思うけれど、生前にも評価されず、死後にも評価されない、結局評価されずじまいで終わってしまうのか。
 評価? 結局、わたしは評価されたいってことね。はいね~、星さんは評価されたいんだそうです。でもね、評価されなくたっていいんじゃない、とも一方では思う。時代とは合わなかったとか、いい文章を書いているのに分かってくれる人がほとんど誰もいなかったとか、そういうことだって十分にありうる(もちろん星の文章が駄作ばかりでダメダメちゃんでしかなかったってこともありうるけど)。いい文章を書く。たとえ、それが商業的に成功しなくとも、1円にならなくとも書く。そこに美学があるんじゃないの? 有名な作家でブログを書いている人を「ただで書くなんてあれは意味ないね」とけなしたやつが過去にいたけれど、このお金にならなくとも書くという作業自体が尊いんじゃないかってわたしは思うんだな。もちろん、お金になるならなったでいい。ならないよりはなった方が断然いい。でも、お金にならなければ書かないというのは寂しいよね。
 話を戻して、わたしが人生においてやっておきたいこと。それはブログ記事を1万記事書くことと、小説を200作書くこと。何だか途方もない目標のように見えるけれど、実現不可能な目標ではない。どちらも頑張ればできることだ。でも、それって本当にやるだけの価値があることなの? 自分の毎日の多くの時間を投入してまでやることなの? 答えは出ない。ある見方をすれば意義があるとも言えるし、別の見方をとるなら単なる時間の浪費でしかない。
 何に自分の人生の時間を使うのか。多くの時間で何をするのか。だから、わたしは決めなければならない。さきの目標を目指すにしろ、目指さないにしろ、やるかどうか決めなければならないのだ。
 と、べき思考が出てきたところで、こうも考えられそうだ。やっていきながら考えて、またやって、そしてまた考えて、さらにまたまたやって、またまた考える。最初から「こうすべき!!」。自分の人生は何が何でもこうでなければならないんだ、って意気込むのではなくて、やりながら軌道修正していけばいいくらいのゆるさでやっていってもいいんじゃないかっていう気もしてきた。人生は最初から最後まで、最初に決めた通りに生きなければならないなんてことはないんだ。やっていって途中でやっていることが嫌になったらまた別のことをやってもいいし、すべてが嫌になったら何もしないで気力が戻るまでぼーっとしていてもいい。そもそも、こうすべきなんて決まりは日本の法律と基本的モラルくらいしかないんだし、それさえ守っていれば、どんな風に生きようがそれはわたしの自由なのだ。結局、このプランを立てた時のある種の息苦しさというか圧迫感は自分に「すべき思考」を命じて、何が何でもそれをやり遂げろみたいなプレッシャーをかけてたからなんだな、って分かった。それに大きな目標を掲げすぎていたようだ。とりあえず、目標をもう少し小さくして、毎日ブログを書いて年300記事以上は書くようにする。そして、ぼちぼち小説も書いていく、でどうだろうか。急に肩の荷が軽くなった。最初からブログ1万記事に小説200作と力むよりは、それくらいのまずできそうな目標を立てたほうが得策だなって感じだな。
 まぁ、あまり力んでも続かないから、やれることを確実に、着実にやっていくという感じでいこうかな。さらには、いつでも必要に応じて目標は修正してもいいし、状況によっては大きく方向転換することだってしてもいいと柔軟に構えてやっていけたらなと思う。目標は絶えず修正されて変わっていくもの。だって、わたし自身も常に毎日変化しているんだからね。だから、初志貫徹することにこだわりすぎないで、ある程度初志貫徹できたらなくらいのスタンスでいきたいな。
 やっていきながら考える。そして、さらにやっていき、また考えて……、とこの作業を繰り返していく。そうすることによって目標がその時の今の自分に一番フィットしたものになっていくんじゃないか。
 目標にがんじがらめに縛り付けられるのではなくて、目標をも柔軟に修正していく。人生の振り幅はそれくらいあった方がきっと楽しい。立てた目標にたえず戻りながら、自分のいるところを見失わないようにしたい。面白くなっていくぞ~。

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