東京の弟夫婦がやってきて

 わたしの家の小さな庭で、クモの巣がシソと松の木の間にかかっている。それは日の光とおだやかな風を受けて、ちらちら、ちらちらと虹色に光りながら揺れている。美しい。何て美しい光景なのだろう。思わず息をのむ。
 しかし、こんな平和な光景とは裏腹に、昨日の我が家では一波乱あったのだ。
 昨日、夜の7時頃、東京で暮らしている弟夫婦が我が家にやって来た。こちらは来てほしいとも何とも言っていない。なかば押し掛けられる形での訪問だった。何でも祖母のことについて話し合いたいらしいとのこと。そういうわけで早ければ5時頃には来るかもしれない、とそわそわしていたわたしなのであった。落ち着かない。弟とちゃんと話せるだろうか。心臓が高鳴る。脂汗が出そうな感じだ。
 弟。これが一悶着あるのだ。わたしが大学を中退して実家に戻り精神疾患と闘病していた頃のことだったと思う。その頃のわたしは吃音がとてもつもなく悪化していて重かった。だから、仕事につくとか、働くとかそういうことに対して絶望していて、生きるだ、死ぬだとやっていたのである。その頃、たしか自殺未遂もしたと思う。そんなものすごく底をのたうち回っているような状態の時に弟はわたしにこんなことを言うのだ。「これからどうするんだ?」と。毎日ではないけれど、頻繁に言われたと思う。で、言われたわたしはどうしたらいいのか分からないから、がぜん死ぬ方向へとシフトしていく。弟はおそらくわたしのことを考えて、わたしのためを思ってあえて苦言を呈してくれていたのかもしれない。けれど、当時のわたしとしては一番その言葉を言われたくなかった。どんな言葉よりもその言葉だけは言われたくなかった。つまり、これは「働け。」ということなのだ。働けとは一言も言っていないけれど、つまりはそういうことなのだ。家でブラブラしていないで、何かをやれということなのだ。「どうする?」ってどうしようもないだろ。どうしようもなくなっている人に「どうする?」という言葉は暴力である。まだ、「どうする?」ではなくて「どうしたい?」なら答えようがある。けれど、この「どうする?」はわたしには全くもってして回答不可能な質問で、そのたびにわたしの行き場のなさが増幅され死にたくなっていったのである。
 ある日、わたしは弟にキレた。「どうする?」と言ってきた弟を押し倒すとお得意の柔道のけさ固め(わかるかなぁ? 首の方を固める柔道の寝技。)をしたのだ。それからだ。それから5年くらい口を利かなくなってお互いに会話しなくなった。それからも、どこか気まずくて特に会話をすることもなく、弟が大学を卒業して、家を出て、一人暮らしを始めて仕事し出したので、それから疎遠になっていたのだ。何にせよ、気まずい二人である。
 で、ようやくほとぼりが冷めたかなぁといった時に、母に、弟にわたしが同席してもいいかどうか聞いてほしいと頼んだら、弟が「いいよ。」とのことだったので、同席することになったのだ。同席したくないのにしようと決意したのには理由がある。それは弟が今から向かう、と言う前の弟と母とが電話しているところを、つまりは母が電話している時にわたしは同室にいて、話が険悪になっているようなので、家に来てもらってからの話も母が攻撃されるかもしれないから、母を守らねばと思ったのだ。
 案の定、話は険悪な方向へと進んでいった。弟の基本姿勢。上からものを言う。決めつける。批判する。非難する。
 弟は東京へ行ってより無神論的な人間になったようだった。弟にとっては金とかモノが何よりも重要なことで、わたしたち親子のようにキリスト教でアーメンとは全然、水と油のようで合わないのだ。話せば話すほどお互いの考えの違いが鮮明になり、平行線であるということに気付かされる。話してて、楽しくないんだな、これが。
 弟は母がこれだけ祖母に嫌な思いをさせられたと訴えているのに、「昔のことだろ。」と切り捨てる。一見、「うんうん」頷いて物分かりが良さそうに見えるけれど、それも表面上のものでしかない。母が結婚して家を出るまでの二十数年の苦しさを「終わったことだ」とかいう風に処理する。お前はなーんも母の苦しさを理解しようとしていないだろ。また、母が祖母を「あんな人」と言ったことに対しても弟はキレた。要はこれだけ生活の面倒を見てもらったのに、その呼び方は失礼で恩知らずではないかと言うのだ。あのねー。お前から見える祖母と、母から見える祖母は違うの。これ、当たり前のことでしょ。同じ人だけれど、立場によって同じ人がまったく異なった印象を与えるものなの。こんな初歩的なことも分からないんですからね、あなたは。
 さらにはわたしと母が祖母を自宅で介護することができない、って言った時も弟は非難してきた。できない理由を聞かれた上に、さらには会社に親の介護をしていて3時間しか寝れていない人がいて仕事でミスしてる、みたいな話を持ち出してくる。それ、面倒見ろ、介護しろ、ってことでしょ。違う? その文脈から言ったらそういうことを主張するために自説を補強しているようにしか見えないよ。
 今まで世話になっていた人が死にそうになっているのだから助けて当然だろ、みたいなことも弟はわたしたち親子に言ってくる。たしかに世話にはなったけれど、わたしたちには無理なのよ。無理なんだから。無理だって言ってる人にやれって言うのは拷問じゃないの?
 で、わたしは言った。「そんなに言うならあなたが面倒みればいいんじゃないの?」と。そうすると、自分は世話になっていないから面倒みるとかあり得ない、みたいなことを言う。その時、浮かばなかったけれど、大学時代よくおじいちゃんおばあちゃん家に行ってたじゃん。というかもっと根源的なことに迫っていくなら、あなたが今こうして命が与えられて生きることができているのは、自分の親がいるからであり、祖父母がいるからであり、さらにさかのぼって……がいるからではないのか。祖父母がいなかったらお前はこの世にまず存在していないわけよ。これは事実だから逃げようがないことだと思うけど。
 結局、祖母の新しい入院に必要な連帯保証人には弟はなってくれず、文句だけまきちらして帰ったのでした。人の畑荒らして帰っただけだな。何にも収穫がない。「お前、何しに来たの? 文句言いに来ただけだろ。ふざけるな!」と言ってやりたい気分だった。
 それで次の日になっても心がくさくさしているので、精神保健福祉士のWさんに電話で相談したのだ。そうしたら違うものだって割り切ったらどうか、とのアドバイス。そうだなぁ。水と油みたいに違うんだよなぁ。だから、どこまで行っても分かりあえない。もう分かりあえないんだ。だから、「お幸せに~」くらいの気持ちでいた方がいいとWさんは言うのだ。いいこと教えてもらったよ。で、Wさんも「弟さん、何しに来たんでしょうね」って言ってた。
 何のために来たのか。それはわたしたちと距離を置くことを宣言するためだったのだろう。母に借りたお金を返すと、「距離を置きたい」とのこと。まぁ、いいんじゃないの。異質なもの同士が話し合っても妥協点すら見出せないからね。だから、別れの時なのだ。達者でやれよ。あと知らん。
 蹴飛ばしたいくらい頭に来ていたけれど、もめないようにすると事前に母と話し合っていたんだ。だから蹴飛ばさないし、罵声を浴びせないし、帰りにわたしは無言で黙っていたのだ。そうして、障害沙汰(!)になることなく、けさ固めもすることなく無事弟夫婦の訪問は終わったのだった。
 仕事をしているやつが偉くて、していないやつはダメでお話にもならなくて、といったことを言う弟。弟のようにはなりたくないなぁ。人を見下す。それが人として一番やっちゃいけないことですよ。
 Wさんはわたしに言ってくれた。「仕事をしないという選択もいいと思いますよ。」そうなのだ。仕事をするしない、ではなくて、本人が幸福を感じているかどうかが重要なポイントなのだ。弟が時折見せる表情が少し苦しそうだった。仕事をして、妻と生活して、家を建てて日々奮闘している弟。弟は弟で大変なのだろう。でもだからと言ってその厳しさを人にも強要するのはいかがなものかと思う。やはりそれぞれの人にはそれぞれの能力やペースや歩んできた歴史がある。
 わたしのこれまでの人生の歩みをWさんは肯定してくれた。あれだけ弟からお前の人生ダメだったみたいな風に言われたので、身にしみるようだった。
 わたしの人生いろいろあったけれど、総じて良かったと思う。そして、今、幸せだ。特に庭のキャベツの前に佇んでいる時が一番心が澄み渡って癒されて「あぁ、幸せだなぁ」と思う。あと本を読んだり、執筆したり、自家製のスパイスカレーを食べている時も。
 弟のあの苦しそうな目。俺はやってるんだぞ、みたいな威圧的な目。弟は心の平安とは遠いだろう。そして、企業戦士としてバリバリ、アドレナリンを放出して働き、そして、到達点を見出すことなく死んでいくのだ。おそらく生涯のうちで神様について考えることもないだろうし、「アーメン」と唱えることもないだろう。それが弟の悲しいかな、人生。でも、Wさんが言うように「お幸せに」と思うようにしよう。達者にやってください。

 以下の文章は昨日、つまり弟夫婦が帰ってから書いた怒りの手記である。怒りの感情が苦手な方や不快な方はここあたりで読むのをやめていただきたい。読みたい方だけ、この先読んでください。

自立しているのがそんなに偉いのか

 今日、夜の7時半頃、弟のYが東京から来た。話がかみ合わない。話せば話すほど平行線。
 やっぱ東京で仕事して稼いで自立してる奴は違うわ。何から何まで合理的。そして、金とモノが大事。心の平安? そんなものどこ吹く風さ。
 お前は何もしてないだろ、みたいなことを言われちゃったよ。何もしてないって生きているけどね。それだけじゃダメなのかい? それだけでまずはよしとしなきゃ、それこそダメなんじゃないの?
 Yと話してるとほとんどすべてがわたしと母へのダメ出し。もっと頑張れと強制してくる。
 社会一般、世間様の常識? 仮にそんなものあるのならクソ食らえだ。つまらない。実につまらない。
 都会人的努力至上主義。お前が社会的に成功できたのは、努力もあるけれど、それ以外の要素だって大きいだろ。運とか。
 で、わたしが「文句ばっかり言ってる」とのことだが、お前が文句ばっかり言ってるからだろ。自分の言葉にまず気付けよ。
 Yから見たらわたしと母はダメな人間なのかもしれない。どうしようもない人たちなのかもしれない。
 でも、それでいいのだ。ダメだったらダメなりに生きていく道はある。
 で、結局Yはわたしたちにお説教をして東京へと戻っていきましたとさ。
 何が東京だよ。何が自立しているだよ。何が都会人だよ。そんなくだらないもの、全部吐き捨ててやる。
 お前は母に優しくしてあげないで、いつも注文、説教ばかりしていたようじゃないか。優しくないよ。全然優しくないよ。
 Yをいつかぎゃふんと言わせたい。お前、つまんない仕事してるね~って言ってやりたい。力がほしくなってきた。
 都会が、Yの周りの社会がYをつまらなくしている。本当つまんないよ。
 で、おそらくどこかで力尽きていつか終わりがくることだろう。そうなったら、あいつ立ち直れないだろうな。
 自力の限界というものを分かっていない。自力に頼る者は自力でうまくいかないと絶望する。さみしいね。つらいね。
 Yは母が祖母の介護をしないことを非難した。今まで助けてもらった人が困っているのになぜ助けないと迫る。母も限界なのだ。限界だと言っているのに、会社に親の介護をして3時間しか寝れていない人がいるという話を持ち出す。つまり、それに比べたらお前はできるんじゃないか。甘えているだけなんじゃないか。
 果たしてそうなのかな? 母はYから見たら何もできていないダメな人なのかもしれないけれど、母は母なりに精一杯やっているのだ。それをまずは認めてわかってやれよ。お前のような奴は部下がいるとか何とか言ってたけど、上司としてダメだな。本当、そう思う。
 自分は努力した。ここまで歯を食いしばってやってきた。だから、お前もできるはずだ、という押し付け型のスタイルの根性論もいいところだ。世の中には頑張ってもできない人がいる。それをまずYは認めようとしない。人はみんな違う。能力も環境も背負っている歴史もみんな違う。だから、頑張れって言われてもできない人もいるんだよ。
 Y。お前は自分のことをひとかどの人物だとうぬぼれているみたいだけれど、わたしは一切認めないぞ。お前のようなやつは本当にダメだ。ダメなわたしに言われるくらいだから本当にダメな奴だ。
 お前はダメな奴だ。相手の立場に立って考えようとする姿勢が何も感じられない。ただ相手を批判してやっつけることしか考えていない。切ないよ。本当、切ない。お前のような奴ほど本当にかわいそうだ。とにかくかわいそうだ。同情してやるよ。ダメ兄貴の同情なんていらないか。
 ダメな兄貴にここまで批判されるなんて、本当お前はダメな奴なんだよ。今はいいかもしれないけれど、いずれ何か大きな問題を起こして取り返しのつかないことをしでかしそうな気がする。
 東京に行ってお前は金を稼げる人になった。けれど、人間としてダメになってしまった。一番大切なことが分からなくなってしまった。もうわたしが言うことはない。好きに東京で生きろ。そして、力尽きてせいぜいくたばれ。

東京の弟夫婦がやってきて” に対して4件のコメントがあります。

  1. カズノリ より:

    なんとまあ…なかなかの試練でしたね。うーむ…

    1. 星さん より:

      長文の記事を読んでくださり、ありがとうございます。
      そうなんです。大変だったんですよ。

  2. イソステアリン酸コレステリル より:

    わー!まず…お疲れさまでした。

    前半のストーリーから後半の吐露まで一気に読んでしまいました。
    でも、ちっとも悪い気がしないのは私がキリスト教側いる人間だから…だけではなくて、星さんの筆力だろうなと思いました。
    ちっとも悪い気がいたしません(笑)

    私も姉と「価値観の違い」から喧嘩別れしてまして、かれこれ5年はハチ合わないようにしているのですが、肉親と世界観が違うと他人よりもコミュニケーションするのが難しいので…5年経った今でもやっぱり距離を置くのがベストだろうなと(今のところは)思っています。

    これは、姉ともめた時に弁護士(←!)の先生にも相談して、その際頂いたアドバイスなのですが

    「身内でもさ、年取って世帯も違ってくると生活の仕方とか価値観が変わってきてもめたりするの、本当によくある話だから。もう会わなきゃいいんだよ。もう会っちゃダメだよ」とのことでした。

    (弁護士に相談するほどの事ではなかったし、弁護士先生も「こんな事で相談に来ちゃだめだよ」とおっしゃられてましたが、もう会わない理由の裏付けがほしかったので「弁護士もこう言ってる」というカードを切るために相談しに行きましたw)

    『近代合理主義やら啓蒙主義的な無神論の世界観だけでは人間はダメだって、オウム真理教以降の社会で生きてるならわかってんじゃん、歴史から学べよカバ!』と、私の心の中の何かが吠えていますが、

    とりあえず弟さんには、カラスを怒らせてしまって通勤路が通れなくなるとか地味にいやな事から、数年後には部下にストライキ起こされて上から大目玉をくらって部署ごとつぶれて降格するようなかんじを神さまにお願いしておきます。(←詩編58でダビデが「神さま、あいつどろどろに溶けたカタツムリみたいにしてください!」と言ってる感じのイメージで…)

    星さんとご家族のみなさまに安らぎがありますように…。

    1. 星さん より:

      こんにちは。
      これだけ長い記事を読んでいただきありがとうございました。
      さぞ読まれるのに時間がかかったことでしょう。
      まずはそのことに感謝です。
      さてあなたもご兄弟、(いや姉妹ですね。)に確執をお持ちとのことで、
      似たような境遇の人がいるものだなと親近感を覚えました。
      弁護士を間に挟んだという話、大変印象的でした。
      わたしも弁護士間に入れてやり取りしたいくらいです。
      さて、わたしの書きなぐったような乱暴な文章に
      共感を寄せていただいたのはとても嬉しいのですが、
      実はわたしの良心が呻いているのです。
      弟から辛辣なことを言われたのは事実なのですが、
      だからと言って攻撃的に対処して本当に良かったのか、とです。
      イエスさまの「敵を愛し迫害する者のために祈りなさい」という言葉が、
      わたしをズドンと射抜いているのです。
      クリスチャンとして本当にこれでいいのか、
      とわたし自身、思い始めています。
      イエスさまの教えの次元の高さにあらためて圧倒されているような、
      そんな状況です。
      あなたとその周りの人々、そして、
      それ以外の世界中の人々に幸福が与えられますように。

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