今年のクリスマスに洗礼を受けることになった。―聖書を初めて手に取ったあのときからの苦しかった15年間を振り返って

キリスト教エッセイ
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今年のクリスマスに洗礼を受けることになった。要約するとこの一言で終わってしまうのだが、そこに至るまでの経緯(思い出話)を話すと長くなる。お付き合い願いたい。

私が初めて聖書を読んだのはいつか?
それは高校1年のときにさかのぼる。その頃、私はテレビゲーム少年だった。私が生まれた80年代にファミコンが発売され、スーパーファミコンへとテレビゲーム機は進化し、私はもっぱらそれで遊んでいた。それから、セガサターン、初代プレステの時代へと移行していくのだが、今はそれらのことには詳しくふれないでおく。そのことが話題の中心ではなく、あまり関係がないからだ。

私の高校時代、今と比べて知的レベルが低かったと思う。なぜなら、高校でもらった国際ギデオン協会の新約聖書、確かマタイによる福音書だったが、5ページで挫折したからだ。まず、イエスの系図がわからない。今思うと旧約聖書を読んでいないのだから、系図に出てくる固有名詞がわからないのは当然だが、変なところ完璧主義だった私はその人名がわからないことが自分自身許せず、苛立ったものだった。
読んでも何も面白くなかった。というよりは、聖書のぼくとつとした簡潔な文体になじめなかった。読解力もなく意味もほとんどわからなかった。だから、私の聖書との第一次接触はあまりいい思い出ではなく、どこか無気力な感じが漂っている。

それから4年後のクリスマスイヴ。
私は20歳になっていた。
その頃、私は九州の三流大学に下宿しながら通っていた。
私は、20歳から読書を始めていて、何か面白い本がないものかと、下宿先から15分ほど自転車で行ったショッピングモールの中にある本屋に入ったという次第だった。
そこで、どういう心境だったか全くもって今となっては思い出せないのだが、本屋の中に何千冊とある本の中から、なぜか聖書を手に取りそして買った。実に不思議だ。しかも買った日が別に聖なる日でなくてもいいのに、クリスマスイヴ。偶然に偶然が重なる。今はこう思う。私は神に導かれていたのではなかったかと。神が私に、「私のもとに来なさい」と招いてくれていたのではなかったかと。すべてはここから始まった。それが私にとっての記念すべき15年前の出来事。

そして、聖書を読んだのだが、意味がわからない。しかも、聖書のあのボリュームだ。一か月で読み切れる類の分量ではない。だから、聖書の手引きになるような本を追加で購入した。その頃、聖書の中で好きだったのが、旧約聖書の「コヘレトの言葉」だった。あの暗い感じが実に大学で孤立していた私の心境にマッチした。空しい、という言葉が出てくるたびに、そうだ、そうだ、と頷いた。福音書よりもこの書の方が好きだった。

聖書を買ったからには、最初から最後まで読もうと思い立ち、通読に挑戦した。
通読は決して楽な道のりではなかった。洗礼を受けてクリスチャンになった人でさえ、通読していないことがざらにある聖書。それに取り組むのはなかなか骨が折れた。毎日、旧約と新約を10ページずつ読むと自分でノルマを決めて実行に移した。旧約聖書続編つきの聖書を買ったので、続編も読んだ。1年経たないうちに通読を完了した。一回通読すると何とも言えない達成感と高揚感があり、また通読したくなった。結果、聖書を現在に至るまでの間に4回通読することに成功した。ただ、わからないところはわからないまま、とりあえず読み進めるというスタイルだったので、わからないところはそのまま保留され4回目の通読チャレンジの時にもわからないままだった。でも、収穫はあった。全てわからなかったわけではなく、わかったところの方が多かったので、聖書の全体的な内容のイメージを把握することができた。これは大きい。聖書の概要を理解することができたということだ。聖書の書名を聞くと、あぁ、あれはこんな内容だったと思う、と答えられるように成長したのだった。

ひたすら独学で聖書を読んでいた。すると、教会という場所へ行ってみたいと思うようになった。母がミッション系の学校に中高通っていたこともあって、その系列の教会に母と一緒に行ってみることになった。教会に初めて行ったときのことは今でもまだ鮮明に覚えている。そのころ私にはまだ信仰のかけらしか与えられていなかったので、礼拝に初めて参加したとき、率直に当時の感想を書くならば、「この人たち、頭は大丈夫だろうか。私にはとてもついていけそうもないな」といったものだった。けれど、通っているうちに教会で信じられていることを受け入れられるようになっていった。人間科学的に言うなら、環境に適応したということだろうが、神学的に言うなら信仰が与えられていったということだろう。
しばらくすると、牧師がマンツーマンで指導してくれるということになった。これはとても勉強になった、と言いたいところだが、牧師の言うことが難解で、ほとんど意味がわからなかった。牧師は私のことを買ってくれているようで、私の疑問に対して手加減することなく、情け容赦なく真正面からぶつかってくれた。その牧師から教わったことは、祈りがなければ信仰にはならないこと、神は全能で予知能力もお持ちだがだからといって祈りが不要だということにはならないこと、神は私との心の交流を求めておられること、私が二千年前のキリストの十字架と関係しているということ、などだった。牧師は理屈で生きているタイプの人間で、自分自身が納得していることしか私には語らなかった。言うことが理論武装されていて一貫していた。私は牧師から信仰とは何かを教わった。
しかし、一年ほど経ったころ、深刻な問題が私の前に壁のように立ちはだかった。それは悪の問題だった。東日本大震災で多くの人が命を奪われた。なぜだ?考えれば考えるほどわからなくなっていった。牧師に質問すると「わからない。しかし、私の信仰は揺らがない」と力説した。なぜ揺らがないのか?この人には人の痛みに対する想像力というものが欠如しているのだろうか、と生意気にも私は牧師に反感を抱いた。

その頃の私は経済的に窮乏していて、「金がないから生活レベルを落とさなければならない。しかし、それには耐えられない。今までのような暮らしをしたい」と悩みの底をのたうちまわっていた。
そして、危険な結論に到達した。「自分が死ねば金もかからなくなって周りの人に迷惑を掛けなくて済む。そうだ。自殺することにしよう。」今思うと、短絡的で認知のゆがみがかなりかかっている危険な状態だったと振り返ることができるのだが、当時の私は客観的に自分のことを眺めることができなくなっていた。
そうして、母に「死のうと思っている。今までありがとう。」と死に赴く意志があることを伝えた。母からは「死なないでほしい」と待ったがかかり、3か月精神科病院に入院した。また、入院中、他の患者に信仰の話をすると、「お前おかしいんじゃない?」と信仰をけなされ踏みにじられた。このことも信仰が萎える理由としてあったと思う。そういうわけで、自然消滅的に教会から足が遠ざかり、欠かさず行っていた礼拝にも一切行かなくなってしまった。1年間の信仰生活だった。

そして数年が経過した。
私はやっぱり信仰に生きたいと再認識する出来事があった。
教会には行かなくなったものの、4回も聖書を通読した経験があり、また教会へと行くようになった。それが去年の10月のことだ。改革派からルター派に教会を変えた。今度は信仰を挫折させたくない、と母の母校の系列の以前通っていた教会ではなく、歩いて通える教会をカルトでないか確認した上で母と一緒に訪ねることにした。前の教会は礼拝が厳粛で厳格だった。何だかんだで2時間も礼拝をやっていた。通うのにバスを2回乗り継ぐ必要があった。だから、礼拝に行くと疲労が凄まじくヘトヘトだった。それに私には精神疾患もあったから、気分が悪くなっていることが多かった。一年間耐えたものの限界だったとも言える。
今度は近い。近所だ。それに礼拝の時間が1時間でコンパクトに終わる。しかも、メロディーに沿って歌いながら神を賛美する礼拝だ。小中学校で合唱をやっていた私にはすぐに馴染むことができた。さらに、信者に敬虔さをあまり要求しない。おおらかで自由な気風でもある。
そんなこんなで、このルター派の教会に通うようになってから一年以上の月日が経過した。毎週の礼拝に欠かさず参加し、月3回の集会にも出るようにしている。私自身、教会に対する満足度が高い。

そして、今年のクリスマスに今の教会で洗礼を受ける。
今の教会の牧師に、東日本大震災の理由を尋ねると、「謎です。」と答えた。でも、自身の信仰が揺らがないとか自信あり気な様子はない。「わからない」ではなく、「謎」。ナイスな答えだと私は思う。現在の私の震災に対する答えは、最後の審判のときに、イエス様に質問して教えてもらおうという期待に包まれている。震災の理由はわからない。けれど、神は全能で愛のお方で真善美の根源であるという肯定的な神認識を私は持ち続けることが出来たらと思う。
私が前の教会に通っている頃には、洗礼を受けるに値する信仰を持った人物に到達していなかったと自信を持って今なら言うことができる。洗礼を受けるときが来たのだ。私が洗礼を受けるのにふさわしい時が来たのだ。

この15年間、本当に山あり谷ありで、すべてが嫌になったこともあった。でも、死なずに生きていて良かったと心からそう思える。
天国の市民権が私に今年のクリスマスに約束される。神様からいただくこの恵みにふさわしいような、私自身の神への応答であるこれから長い信仰生活を歩んでいけたらと思っている。

クリスマス礼拝および礼拝式には母とこの10年間ほどお世話になっている精神保健福祉士が駆けつけてくれることになっている。苦楽を共にしてくれたこの2人の前で洗礼を受けられることが本当に嬉しい。

この喜びを神様に感謝したい。


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